カタールW杯

スポーツにおいて世界最大規模の大会であるW杯。1930年にウルグアイで行われた第一回大会から4年ごとに行われてきた。

今年も22回目となるW杯がカタールで開催されるが、4年に一度ということもあり、W杯ではこれまでその時々の各国を代表する最高の選手達が母国の威信をかけて戦ってきた。

毎回各国の、最も能力が高く、調子の良い選手が選出されるW杯だが、そのW杯で現役引退を表明した選手も存在する。

今回はW杯での試合を最後に引退した選手を紹介する。


中田英寿(2006年ドイツW杯GL ブラジル戦)


1995年にベルマーレ平塚でプロデビューを果たした日本サッカー界を代表するレジェンド中田英寿。アンダー世代の日本代表にも選出され、早い段階から世界と戦ってきた。

中田英寿にとって最初のW杯となったのは1998年のフランスW杯。日本代表にとっても初のW杯となった。日本代表はGL3連敗を喫し敗退となったものの、日本のサッカー史に新たな歴史が刻まれた。中田英寿はGL3試合にフル出場した。彼のプレーは海外のクラブの目に止まり、オファーが複数届いた。

そのオファーの中からイタリアのペルージャへの移籍を選択した中田英寿は、デビュー戦となった98−99シーズンの開幕戦でジダンらを擁するユベントス相手に2ゴールをあげるという素晴らしいデビューを飾る。その後活躍が認められ、ローマに移籍すると、スクデット獲得に貢献するなど更なる活躍を見せ世界的な選手となる。

2001年にはパルマに移籍。2002年には2度目のW杯となる日韓W杯に出場し、日本初の決勝トーナメント進出に貢献した。

その後はボローニャ、フィオレンティーナ、ボルトンなどでプレーをした中田英寿は3度目となるドイツW杯に出場。GLではオーストラリア、クロアチア、ブラジルと対戦し、1分2負で敗退となった。3戦目のブラジル戦で敗れた中田英寿はピッチにしばらくピッチに仰向けで倒れ込んだ。

翌月の2006年7月、自身のHPで現役引退を発表した。当時の中田英寿の年齢は29歳。30歳を前にした中田英寿の引退は世界に衝撃を与えた。

ジネディーヌ・ジダン(2006年ドイツW杯決勝 イタリア戦)


フランスのファンタジスタであるジダンは、フランスのカンヌで1988年にトップチーム契約を勝ち取ると、その才能を見せつけ、1992年にボルドー移籍を果たす。

リーグ・アン最優秀若手選手に選ばれるなど活躍を見せると、1996年にユベントス移籍を果たす。ユベントスでは2度のスクデット獲得するなど世界最高峰の選手たちが集まるセリエAで輝きを放った。

2000年には当時史上最高額となる9000万ユーロでレアル・マドリードに移籍。ラ・リーガやCLを制覇するなど世界一の選手にふさわしい活躍をみせた。

フランス代表としては1994年にA代表デビュー。1998年には自国開催となったフランスW杯に出場し決勝戦では2ゴールを挙げる活躍を見せ、フランス代表の優勝に大きく貢献した。

2002年の日韓W杯には直前の強化試合で負傷を負いながら強行出場するも、フランスは1分2敗でGL敗退となった。

2004年のEURO終了後、ジダンは有望な若手選手に道を譲るため代表引退を発表した。

しかし、フランス代表の2006年ドイツW杯の予選敗退の危機に際し、代表復帰の要請を受けフランス代表に復帰。フランス代表をW杯予選突破に導いた。

W杯終了後の引退を公言して臨んだジダンはGLは低調に終わるも、決勝トーナメントでは復調し、スペイン、ブラジル、ポルトガルに勝利して決勝に進出した。

決勝のイタリア戦では前半にPKから先制ゴールを記録したが、マテラッツィに同点ゴールを許し1−1のまま延長戦に突入すると、110分にマテラッツィに挑発を受けたジダンが頭突きを浴びせ一発退場に。試合はPK戦の末イタリアに敗れた。ジダンにとって現役最後の試合は退場という形で幕を閉じた。

ファン・ブロンクフォレスト(2010年南アフリカW杯決勝 スペイン戦)


オランダの名門フェイエノールトの下部組織で育ち、1994年にトップチームデビューを果たしたファン・ブロンクフォレスト。

フェイエノールトやレンジャーズでの活躍が認められ、アーセナルやバルセロナでも活躍した。

主に左サイドバックでプレーしていた彼はオランダ代表として1998年のフランスW杯、2006年のドイツW杯や2010年の南アフリカW杯に出場。

35歳の時に自身3度目の出場となった南アフリカW杯では、大会後の現役引退後を表明して臨んだ。彼がキャプテンを務めたオランダ代表はGLで日本、カメルーン、デンマークと対戦し1位通過で決勝トーナメントへ。その後ブラジルやウルグアイといったW杯優勝経験のあるチームを破り決勝進出を果たした。決勝ではスペインと対戦し、延長戦にまでもつれこんだが、イニエスタの決勝ゴールに沈んだオランダは準優勝に終わった。

ファン・ブロンクフォレストにとってこの試合は16年間の選手キャリア最後の試合となった。

ファン・ブロンクフォレストは引退後プロデビューを果たしたフェイエノールトで監督に就任すると、クラブにとって18年ぶりのリーグ優勝を果たすなど監督としてのキャリアを歩み始めた。2021年には急遽アストン・ビラの監督就任が発表されたジェラード監督の後任として古巣であるレンジャーズの監督に就任。今シーズンはELで決勝に進出し、フランクフルトと対戦しPK戦で敗れたものの準優勝を果たした。