今回は、永松秀麻(ながまつ しゅうま)選手にインタビューをさせていただいた。現在ポーランド2部のズニチ・プルシュクフというチームでプレーする攻撃的な選手だ。
永松選手は日本でのプレー経験がなく、大学卒業後にバルト三国のラトビアへ飛び立った。
海外でのプレーを希望したきっかけは、大学時代のタイへのボランティア活動。日本との大きな環境の違いに影響を受けたという。
しかし、欧州でのプレーや生活は簡単なものではなかった。それでも永松選手の能力と人柄で乗り越えてきた。
それでは永松選手の欧州でのサッカー生活を深堀していこう。
海外移籍のきっかけはタイでのボランティア活動
━━━得意とされているプレーやご自身の長所を教えていただけますでしょうか。
得意としているプレーはチャンスメイクです。長所は、試合中に流れを読むことなど、頭を使ったプレーです。ポーランドもそうですが、欧州は体の大きな選手が多く、フィジカルでは劣る部分もあるので、上手く力をいなしながらボールを取られないようにすることを心がけています。
━━━海外に移籍することを決断した決め手は何でしたか?
一番最初に海外でサッカーしたいと思うようになったのは、僕が関西大学の二回生の時です。大学のプロジェクトでタイにボランティアに行く機会があり、タイの学生に日本語やサッカーを教えていました。
そこは環境やサッカーの考え方・価値観が日本とは異なります。その時に日本でサッカーをするよりは世界の様々なサッカーを見たいと思ったのがきっかけです。
それから大学を卒業して、ヨーロッパでサッカーをしたいという想いが強かったので、そこでサッカーをする決断に至りました。
━━━タイのどのあたりに魅力を感じられたのでしょうか?
まず日本は整っているということを感じます。普通にサッカーができ、スパイクやボールも新しいものがあるという環境です。
一方で、タイはお金を持っていない人も結構いたのですが、そのような環境でも楽しそうに笑いながらサッカーをしていて、そこに僕は刺激を受けました。
「環境やレベルが地獄だった」ラトビアでのサッカー人生
━━━最初ラトビアのチームへ加入されましたが、なぜラトビアを選ばれたのでしょうか?
最初はエージェントをしている友人にモンテネグロを勧められたのですが、いくつかの問題が発生しました。その時は卒業前の2月で時間がない状態でした。
そこで別の知り合いでラトビアにエージェントがいることが分かり、あまりおすすめはされませんでしたが、最終的にラトビア行きを決断しました。
━━━その後実際に移籍されたラトビアのサッカーはいかがでしたか?
正直、環境やレベルは地獄でした。生活面でいえば、ワンルームに二段ベッドを2つ置いて3人のブラジル人と過ごしたり、サッカー面でも日本の大学サッカーと比べても全然でした。正直ゴールやアシストのシーンのビデオを撮りにラトビアに行ったという感覚でした。
━━━そのような状況でどのようにモチベーションを維持されていたのでしょうか?
早く抜け出して上に行きたいという気持ちが強かったです。当時ラトビアの2部でプレーしていたのですが、1部に行かないとチャンピオンズリーグやヨーロッパリーグの予選に参加する資格を得られないので、とにかく得点とアシストを積み重ねて一日でも早く上に行きたいという気持ちがモチベーションキープに繋がったと思います。
━━━ラトビアでの言語面や生活面はいかがでしたか?
僕自身、英語の単語やグラマーは分かっていたのですが、いざ話すとなったときに聞き取りに苦労しました。最初は明るく接することを心がけて、乗り切っていました。そこから自分で勉強していくにつれて、徐々に上達していきました。
生活面はほぼ給料がないに等しく、家だけチームから出してもらえるという状況だったので、日本の時にアルバイトで貯めたお金を切り崩しながらの生活でした。
ポーランドへの移籍で全ての面において向上
━━━ラトビアで1年半プレーされた後にポーランドへ移籍されましたが、そこの経緯を教えていただけますでしょうか。
今のポーランド人のエージェントがSNSから連絡をくれたのがきっかけです。その時は所属していたラトビアのチームも優勝して1部昇格が決まり、僕自身もゴールやアシストを量産していたのですが、チームの財政面の問題もあったため、ポーランドへ移籍することになりました。
━━━ポーランドのサッカーはやはりレベルが上がりましたか?
最初ポーランド4部のチームでのスタートだったのですが、ラトビア2部に比べても給料、生活、サッカーのレベルが全て向上しました。
━━━プレースタイルにはどのような変化がありましたでしょうか?
ポーランド4部は、よりフィジカルが強くなり、個々のプレーで戦うということが多くなりました。僕は逆にチームとしてプレーするスタイルが得意だったのですが、このチームに入ることによって、個人で打開する力が伸びたと感じます。
━━━そこは練習や試合を重ねる毎に成長していかれたのですか?
そうですね。それでしか通用しないという環境になり、またポーランド4部では中々チームプレーが機能しませんでした。自分で打開して得点・アシストを取るしかないという状況だったので、自然と伸びていきました。
━━━ポーランドの生活面はいかがでしょうか?
ポーランドの生活は快適です。炊飯器も自分で買って、日本のお米をオンラインショップで取り寄せています。日本のお米さえあれば、食事面は問題ないので快適に過ごせています。
また、ポーランド人は最初壁を感じるのですが、その壁を打ち破るとフレンドリーに接してくれるという特徴があります。人とのコミュニケーションもとても快適ですし、親切な人が多いです。さらに、国自体も日本人に対して悪い印象がないので、その辺りも含めて過ごしやすい国だと思います。
まずはポーランド1部へ、そしてタイでのプレーも視野に
━━━これまで海外でプレーされて上手くいったと感じることは何かございますか?
様々な環境でプレーしてきましたが、その中で立ち止まらなかったことです。環境によって、自分の能力を伸ばせる部分と伸ばせない部分があり、そこを自分自身で分析しながら伸ばせるポイントにフォーカスして成長し続けてきたと自負しています。
今年28歳になるのですが、立ち止まっている時間はありません。サッカー選手として一生プレーすることはできないので、今置かれている自分の状況でどれだけ成長できるかが大事だと思います。
━━━逆に海外でプレーされていて、難しかったり苦労されていることはございますか?
今は問題ないのですが、ラトビアの最初の頃やポーランドの4部の時はビザ問題が大変でした。最初ラトビアのチームと契約した際も、契約内容としてビザを早く作るよう言っていたのですが、結局作ると言いながら中々作ってくれなかったりしました。
ルーズな人が多いので、日本では起こらないような問題が起こったりします。この日までにやると言われたことをやってくれなかったりするところは大変です。
一方で、サッカー面ではあまりないと思っています。環境ごとに自分が必要とするポイントが変わっていくのですが、僕は柔軟性がある方なので、その面はあまり苦労せずにやってこれていると思います。
━━━今後どのようなキャリアを築き上げていきたいとお考えでしょうか?
まずはポーランド1部に上がれるよう1シーズン頑張って、来年夏か今年の冬の移籍シーズンで1部のチームに昇格したいと思います。そこからベルギーやスイスに移籍できればと考えています。
そして、最終的にはタイでサッカーができればと思うので、30代中盤〜後半でサッカーができる体力があれば実現したいと思っています。
━━━本日はありがとうございました。
編集:ALLSTARS CLUB編集部
画像:ご本人より提供