アーセナル エミレーツスタジアム

1992年に開幕したイングランドのプレミアリーグ。

イングランドのサッカーは激しさを前面に押し出したダイナミックなスタイルが多くの人々を魅了し、興奮を与えてきた。

しかし、激しさが時にエスカレートし、危険なプレーも見られた。そしてその危険なプレーの度に主審はレッドカードを提示してきた。

これまでプレミアリーグで提示されたレッドカードの数は1700枚を超える。

今回はその世界でも有数の激しさを誇るプレミアリーグの歴史の中で、最もレッドカードを提示された選手たちを紹介する。

ちなみにプレミアリーグの歴史の中で最もレッドカードを提示したレフェリーは21−22シーズンを最後に引退が発表されたマイク・ディーンだ。

彼は2000年にプレミアリーグで初めて笛を吹き、昨シーズンまでプレミアリーグのピッチに立ち続けたが、その約20年のキャリアで提示したレッドカードの数は「114」。

100を超えるレッドカードを記録したのはマイク・ディーンのみであり、その記録は当分抜かれることはないだろう。

それではプレミアリーグで最もレッドカードを受けた選手たちを紹介する。

リー・キャタモール(7回)

中盤の潰し屋として有名なキャタモールはミドルズブラ、ウィガン、サンダーランドなどでプレーし、ミドルズブラ在籍時には「ミドルズブラの潰し屋」と呼ばれた。

激しいプレースタイルが持ち味だったが、時に度が過ぎてレッドカードを提示されることがあった。2010年には1年で3度も退場処分を受けるなどしたキャタモールは、プレミアリーグで通算7度の退場処分を受けることになった。

アラン・スミス(7回)

イングランド出身で攻撃的なポジションでプレーしたスミスは1997年にリーズでデビュー。マンチェスターU、ニューカッスルなどでプレーした彼はキャリアを積むにつれ徐々にポジションを下げ、ニューカッスル退団後にプレーしたミルトン・キーンズ・ドンズ時代にはセンターバックとしてプレーすることもあった。

彼はプレミアリーグで10年以上活躍したが、そのキャリアの中で7度退場処分を受けた。

ヴィニー・ジョーンズ(7回)

ウェールズ出身のヴィニー・ジョーンズは1984年から1999年までプレーし、ウインブルドン、リーズ、シェフィールド・ユナイテッド、チェルシーなどでMFとして活躍した。

現役引退後は俳優として活躍し、数多くの作品に出演している。

ロイ・キーン(7回)

1990年代から2000年代初頭、マンチェスターUの闘将として活躍したロイ・キーンは後述のヴィエラ擁するアーセナルと長年タイトル争いを繰り広げた。

キーンは中盤のハードファイターとして知られ、通算7度のレッドカードを受けている。

リチャード・ダン(8回)

1996年にエバートンでトップチームデビューを果たしたダンはマンチェスターC、アストンビラ、QPRなどでプレーし、2015年に引退した。

CBとしてプレーしていたダンは、2005年から2008年の4年間に渡りマンチェスター・シティの年間最優秀選手に選出されるなど活躍を見せたものの、時折見せた激しいプレーで退場処分を受けることもあった。

プレミアリーグでは通算8回のレッドカードを受けた。

ダンカン・ファーガソン(8回)

現役時代、FWとして活躍したスコットランド出身のダンカン・ファーガソン。1994年にレンジャーズからエバートンに移籍。2006年までプレミアリーグでプレーした。

気性が荒いことで知られるダンカンはピッチ内外問わず、乱闘騒ぎを起こすなどし、頭突きをして懲役刑を受けたこともある。

ダンカンはプレミアリーグで通算8度の退場処分を受けている。

パトリック・ヴィエラ(8回)

アーセナルでキャプテンとして無敗優勝を経験したヴィエラ。同クラブで約10年間過ごした彼は圧倒的なフィジカルとテクニックで中盤を支配し、当時における世界最高峰のMFであった。

彼はプレミアリーグで8回レッドカードの提示を受けた。