ムバッペ

今夏フリーでのレアル・マドリードへの移籍が噂されている中、ほとんどの人が予想していなかった「PSG残留」を決断したフランス代表FWキリアン・ムバッペ。

3年契約が結ばれたが、この度、「ニューヨークタイムズ紙」はその額を約2億5000万ユーロ(約360億円)であったと明かした。年間でいうと約8330万ユーロ(約120億円)という破格の額だ。

さらに、契約更新ボーナスとして1億2500万ユーロ(約180億円)が支払われ、スポーツ界でのボーナスにしては最大のものだった。

そんなムバッペだが、ここまでのリーグ戦やチャンピオンズリーグでは大活躍を見せている。リーグ戦では5試合7ゴール、CL初戦のユベントス戦では異次元の活躍で2得点を記録するなどさらなる高みを目指している。

当時は残留に関してさまざまな憶測が飛び交ったが、実際にムバッペが残留を決断した要因はなんだったのか。ニューヨークタイムズ紙が行なった独占インタビューをみてみると、ムバッペの意外な本性が見えてきた。

今回は、同独占インタビューから興味深い部分を抜粋し、普段見られないムバッペの一面を共有したいと思う。

※この記事は、「ニューヨークタイムズ紙」が行った独占インタビューから一部を抜粋したものであり、オリジナルインタビューではありません。あらかじめご了承ください。元記事はこちら

子ども時代から成熟していたムバッペ

子どもの頃から大きな野望を持っていたムバッペ。10代で数ヵ国語を習得したがそれは行きたい場所に行けるようにするためだった。

最終的にASモナコを選んだが、当時から他の選手とは少し違っていたという。彼の先生たちは、知的で落ち着きがある上、自信と成熟度も兼ね備えており、他の選手とは一線を画していたと話している。

16歳の時に学校の課題としてムバッペのビデオインタビューを見たことのある先生は、「彼は10年やっているように見えた」と語った。

ASモナコのトップチームでは、17シーズンぶりのリーグ優勝やチャンピオンズリーグベスト4など数々の名誉をもたらすと、翌年には同リーグの強豪PSGヘローン移籍。翌シーズンに完全移籍で加入することとなった。

PSGへ移籍する前、パリで会談を行ったそうだが、お金の話ではなかった。1度悪いパフォーマンスをしたからといってスタメンから外さないということを約束したのだ。

エメリは、まだ18歳であるムバッペを一流のベテランのように扱わなければならなかった。ただ同時に、エメリはムバッペの将来には避けられない何かがあるのではないかという印象を受けていたという。「彼のキャリアに対するプランがあった。PSGと5年契約を交わしてから次のステップを決めよう」。

当時のムバッペは全てを欲しいがままにしているように思えた。「正直僕は若いから、自分の野心に限界を感じたことはない。自分に限界なんて作る必要はないからね」とムバッペは話した。実際に、言葉の通りW杯で主力として優勝するなど実力を証明し続けている。

サッカー面以外での影響力・行動力と謙虚さ

ムバッペの活躍はプレー面だけではない。彼はパリ地域の子どもたちに良い影響を与えるための財団を持っており、他のサッカー界の著名人のビジネスやチャリティーなどにも注目している。

実際パンデミック中、マンチェスターUのラッシュフォードが子どもたちへの給食無料化を英国政府に働きかけたキャンペーンを祝福したりしていたという。

また、人種問題への取り組みにも精力的に参加している。「自分のプレーを批判することは構わない。しかし、人種的な問題の批判は看過できない。サッカー界に蔓延する人種差別問題に終止符を打たなければならない」と話す。

ここからも読み取れるように、ムバッペは人柄も良い。FIFAシリーズの最終盤の表紙を飾ることとなったが、戦略会議に参加した彼はさまざまな意見を言ったという。

「わたしたちと一緒に微調整や変更要素を指摘してくれる人はあまりいない」とEAスポーツの副会長は口にした。

他にもある制作会社と話をしていたムバッペだが、サッカー以外の映画も作るというビジョンで合意した。最初のプロジェクトはシリア人難民の生活がテーマだという。

ムバッペは、「サッカー選手以上の存在になりたいんだ。人々は『それは欲張りだ、サッカーに集中しなければならない』と思うこともあるかもしれない。でも僕はそうは思わない。世界が変わったんだと思う」と話した。

移籍か残留か… マクロン大統領との会談と自身の決断

レアル・マドリードへの移籍報道が飛び交う中、PSGはフランスのマクロン大統領の力を借りた。マクロン大統領は、あと数年母国の英雄として、フランスとPSGのヒーローになるチャンスを同時に手に入れるというビジョンを提示した。

政治関係者がサッカー選手の移籍に関与したのは、1961年のペレ以来だろうか。当時欧州の強豪チームがこぞってペレを獲得しようとした時、ブラジル政府はペレを「国宝」と宣言し、海外移籍ができないほど重要な文化財とする法律を制定した。

マクロンとムバッペの関係はここまでではないが、彼の言葉がムバッペの決断に影響を与えた。

「自分のキャリアの将来について、大統領と話すことになるとは想像もしていなかった。『ここにいてほしい。今すぐ出て行って欲しくない。あなたは国にとってとても重要な存在です』と言われたんだ」。

「もちろん。大統領がそう言ってくれるのなら、、、」。

しかし、ムバッペはすぐに身を動かさなかった。マクロンも他の人と同様、待たされることになる。

ムバッペには代理人がいないため、どんな決断も、自分にとって一番重要なアドバイザーである両親と綿密に話し合った上で決定されるという。

「僕たちは全てを話した」。それでも最後に主導権を握るのはムバッペ本人だ。

最終的にムバッペはPSGに残留することを決意した。彼はオファーされた莫大な金額が残留に繋がったわけではないと主張した。「どこに行ってもお金は手に入るから」。

ムバッペは、契約更新の条件として、「自分の監督が誰になるか、さらには同僚が誰になるかにまで影響を及ぼすことを要求した」という非難を読むと、「腹立たしい」と述べた。

「監督や同僚を決めることは自分の役割ではない。僕はピッチ上で輝く人。ピッチ外の問題は僕の守備範囲外。僕より優れている人はたくさんいる」。

ムバッペの夢はバロンドールやチャンピオンズリーグのトロフィーを勝ち取ること。

「僕はいつも、すべてを手に入れるのが夢だと言っています。限界などない。」