「どこみてんだよ!」「なんで反則なんだよ!」「ちゃんとやってくれよ!」
これらはプロアマ問わず、大人小人問わず、フットボールの試合中に審判が言われる言葉の一例です。これくらいならまだましで、もっと厳しい言葉をあびせられることもあります。こうした状況に嫌気がさして、近年では世界中で審判をやる人が激減して公式戦が開催できないなど、大きな問題となっています。
もちろん審判は『最終決定者』として誰よりも重い責任を担っていますし、たった一度のミスが試合に大きな影響を与えることもあります。それによって選手、チーム関係者、ファン・サポーターの方が「邪魔された」「試合を壊された」と感じて、審判に対して感情的になることも理解できます。
ですが、審判も皆さんと同じ人間です。どんなに一生懸命やってもみえない、わからない、うまくいかないことはありますし、誤解や勘違いすることも残念ながらあります。
そこで今回は、『ミスや批判に対してどう向き合えば良いのか』について考えていきます。
ミスとは、何かをすることで正しくない/望ましくない状態や結果になることを言います。類語にミステイク、エラー、間違い、誤り、失敗などがあり、フォルトやファウルもこの類です。
それでは、フットボールにおけるミスや批判が生まれる要因についてみていきます。
フットボールにおけるミスとは?
ミスは、内的と外的という2つの要因によって生まれます。
前者は、知識不足やスキル不足、先入観や思い込み、確認不足や連携不足、気の緩みや手抜き、過度の緊張や不安、準備不足や体調不良などがあげられます。後者は、ルールやガイドラインの不明瞭、設計や仕組みの不備、他者のミス、悪意ある騙し、天候や競技場といった環境の変化などがあげられます。
審判のミスに対する向き合い方
それでは、審判はミスに対してどう向き合えばいいのでしょうか。
3つのポイント
・十分な準備
・柔軟な対応
・毅然な対応
ミスに関しては、十分な準備、柔軟な対応、毅然な対応という3つがポイントです。ミスはいつでも、どこでも、誰にでも起きるもの、そして決してなくならないものです。ここを抑えたうえで、ミスを『未然に防げるもの』と『未然に防げないもの』、『影響が小さいもの』と『影響が大きいもの』で分けて、それぞれ様々な観点からミスができるだけ起きないように、起きたとしても適切に対処できるように策を練って下さい。
それ以外では、ミスが起きる原因を学んだり、体調管理や仲間と打ち合わせてミスに備えて下さい。万全の準備は安心感をもたらしますが、必ずしも想定通りに事態が収拾できる訳ではありません。その場合は、周りの状況を冷静に観察しながら解決策を見出し、柔軟に対応して事態を収拾させて下さい。
そしてもうひとつ、相手の誤解や勘違いから審判がミスしたと思い込まれることがあります。その場合は、ゆとりと温もりと毅然さをもって相手と接して下さい。もちろん誤解が解けないこともありますが、変に取り繕ったり感情的になるのではなく、相手と試合に誠実に向き合っていれば問題ありません。あなたはミスしていないのですから。驕らず、恐れず、慌てず、凛としていましょう。
フットボールにおける批判とは?
批判は、曖昧さ、最終決定者、興奮状態という3つの要因によって生まれます。
まず、フットボールのルールは他競技と比べて非常に曖昧なので、同じ事象でも見方や競技の精神/ルールの理解度によって解釈が違ったり、意見が分かれることがよくあります。また、審判の判定は正誤に関わらず最終なので、選手のプレーや試合に影響を与えます。
さらに、試合中は誰もが興奮しやすく自制心を失いやすい状態にあるので、審判の判定や対応が自分たちの意見と異なったり納得いかないと、審判に対して不満を募らせたり不信感を抱くようになります。これらによって、選手やチーム関係者、ファン・サポーターは審判を批判するようになります。
審判の批判に対する向き合い方
それでは、審判は批判に対してどう向き合えばいいのでしょうか。
2つのポイント
・聞いた言葉を仕分ける
・『毒ある言葉』を心で受け止めない
批判に関しては、聞いた言葉を仕分ける、『毒ある言葉』を心で受け止めないという2つがポイントです。審判は試合中、何かある度にいろんな人からいろんなことを言われます。そのすべてを真に受けていると心が疲れてしまって、審判どころではなくなります。
ですので、感情的になっている人から何かを言われたときは、真摯な態度で相手を受けつつもうまく交わしながら話を聞くようにして下さい。このとき、言葉尻ではなく相手の発言の背景に目を向けるようにすると、自分も感情的にならずに妥当な策を見出せるようになります。
そして、相手が発した『毒混じりの言葉』は心ではなく頭に送って下さい。そうすると脳が「これは批判なのか、非難なのか、人格否定や人権に関わることなのか」と言われた言葉を『意味ある言葉』と『毒ある言葉』に仕分けてくれます。
仕分けができたら、批判と人権に関わるもの以外はきれいさっぱり捨てて下さい。『毒ある言葉』を発奮材料として使うこともできますが、自分の中に『毒ある言葉』が長居すると、知らないうちに自分が毒されてしまうのでオススメはしません。
なぜ批判と人権に関わるものは捨てないのか。それは、批判は自分が成長する、あるいは問題解決のヒントが多分に隠されている『宝の山』であり、人権に関わるものはレポートする義務があるからです。
批判は、根拠と尊重と建設的であることが前提ですが、この3つがない発言は単なる非難や誹謗中傷といった聴くに値しない『毒ある言葉』なので、心で受け止めないようにして下さい。心が傷ついたり、感情的になるだけですので。人権に関する発言は今世界中で問題視されているので、発言者と発言内容を特定して関係機関に報告しましょう。
まとめ
今回はミスと批判についていろいろみてきました。人は想像していた危機には強いのですが、想像していない、あるいは想像を超えた危機にはすごく弱いので、まずはミスを知り、批判を知り、対策を取るようにして下さい。そしてミスから学び、批判から学び、自分をより素敵な人へと育てていって下さい。