「企業のDNA」という言葉は、しばしば組織の文化や戦略、つまり、その企業の独自性を示す例えとして使われる。しかし、この例えにはもっと深い本質があるのかもしれない。
自社のDNAを理解することで、何ができるのか、どうすれば変化する世界の中で機敏に対応できるのかを知ることができるのだ。
DNAには、組織が発展し、機能するために必要なヒントが含まれる。 これを理解することで、組織に関する知識を深めることができるかもしれない。
例えば、DNAは命が形成される初期段階から存在する。企業も同じで、創業者のビジョンや価値観によって企業の独自性が決まると言えるかもしれない。では、DNAが一生で変わることはないとすれば、 企業にも当てはまるのだろうか?もしそうなら、果たして適応や進化の度合いを制限してしまうのだろうか?
また、生物におけるDNAは環境によって反応が異なるが、企業は変化しないDNAを持ちながら、新しいビジネスモデルや組織設計、製品提供を通じてDNAを表現し、イノベーションを起こすことができるのだろうか?
目次
企業のDNAを表す2つの例
以下の例は、企業がDNAに従いながら、今まで試したことのないアプローチ法で企業のDNAを表現する余地があることを示唆している。
IBMとHPという2つの競争相手の行く末を考えてみよう。1990年代に苦戦した両社だが、一方は創業者のビジョンや価値観を受け入れ、もう一方はそれを否定した。
IBM社の場合
IBMのDNAを決定づけたのは、トーマス・J・ワトソンである。彼のモットーは「考える」ことであり、それが彼のビジネスのやり方だった。ワトソンの企業に持ち込んだビジョンは、「考えることで機械を作り、機械で考える力をつける」ことだった。
IBMは1990年代前半に経営判断を誤り、瀕死の状態に陥ったが、その危機をきっかけに、IBMは「考える」というDNAに立ち返った。
IBMのノートパソコンの常識を覆したのが、ThinkPadだ。そんなIBMが現在注力しているのは、ワトソンと呼ばれる継続的に学習が可能なAI技術を筆頭としたビジネスである。
HP社の場合
一方でIBMのライバルであるHP社は、1939年にビル・ヒューレットとデーブ・パッカードによって設立された。彼らは、従業員に権限を与え、組織を分散させ、給与を業績に連動させる最初のケースの1つである「HPウェイ」を推進した。
しかし、1990年代後半から、HPのスタイルを不利と考えるCEOが現れ、それを放棄して、分散型起業を中央集権型に置き換えたのだ。 メグ・ホイットマンCEOになって初めて、HPは “The HP Way Now “と言い換えられたHPウェイを再認識し始めたのである。
生物学的なDNAと企業DNAの違い
戦略は、市場だけでなく、企業のDNAと合致していなければならない。しかし、このことは問題であるように思える。今日の市場では、適応し進化することがこれまで以上に重要だ。
では、もし企業がDNAによって制限されているとしたら、競争力を維持することは可能なのだろうか?
生物学的には、『遺伝子型』と『表現型』と呼ばれるものがある。
遺伝子型とは、表現型とも呼ばれる身体的形質の基礎となるDNAのこと。髪の色のように、環境に関係なく遺伝子型が表現型を決定する場合もある。
しかし、DNAの発現方法には幅があり、これは「表現型の可塑性」と呼ばれる。
例えば、成長期のサンショウウオは外敵の存在を察知すると、白い毒性の粘液を皮膚から出して生き残るチャンスを増やす。ビジネスにおいても、この可能性を発揮する企業がある。
一つを例にあげると、IBMは「考える」のDNAを機械に引き継ぎ、パーソナルコンピューター、クラウド、人工知能で表現することを選んだ。
自社のDNAを知るには?
会社にある昔からの資料や社史を調べ、会社創設時のメンバーに話を聞くなどの方法がある。
創業者たちがどのようなビジョンを持ち、どのような価値観を持ち、どのような問題を解決しようとしたのかを意識してみてはいかがだろうか。
DNAを見つけることができれば、自社の現在と過去に行なってきたビジネスに当てはめてマッピングし、新しい戦略を模索する際に、自社のDNAの反映方法が見つけやすくなる。
マンチェスターUにおけるDNAの例
イングランドのマンチェスター・ユナイテッド(MU)のDNAをマッピングする際、上記を応用することができる。
彼らのDNAは、サッカーという商品をコアビジネスとして運営する商業ネットワークに表現されている。そこから、不動産サービス、旅行(MUトラベル)、金融サービス(MUファイナンス)、通信(MUオンライン、MUラジオ、MUテレビ・・・)、ケータリング(MUケータリング)、電子ゲーム、ベッティングなどを幅広く展開する。
マンチェスター・ユナイテッドに所属しているマーケティング、ファイナンス、マネジメントの専門家が、戦略的プランニングを適用し、先見性、目標設定、戦略選択、プロジェクト選びなどで、事業構造を強固な「攻撃」戦線へと変貌させたのだ。
その結果、18億6000万ドル以上の市場価値を持つ、イングランド・プレミアリーグを代表する企業となっている。サッカークラブという分類では、世界で最も経済力のある企業だ。
創業者のビジョンと価値観の原点
マンチェスター・ユナイテッドは、1878年にランカシャー&ヨークシャー鉄道会社の鉄道車庫チームとして誕生した。1892年にはイギリスサッカー界の1部リーグに進出。1902年、財政危機の後、J・H・デイヴィスが経営権を握り、当初の名称をマンチェスター・ユナイテッドに変更した。第二次世界大戦中にスタジアムが爆撃されたが、ライバルであるマンチェスター・シティが手を差し伸べメイン・ロードの使用を認めた。
56-57年には、マット・バスビーを監督に迎え、若手の才能を登用することにより、リーグ優勝を果たす。
しかし、1958年のミュンヘン航空機事故により、8人の選手が命を落とし、この成功は終わりを告げた。その後、1965年と1967年にリーグ優勝、1968年にはヨーロッパカップ優勝と復活を遂げた。
1990年代にはスコットランドのアレックス・ファーガソン監督のもとで成功を取り戻し、11年間で8回のリーグ優勝を果たした。
1999年には、チャンピオンズリーグ、プレミアリーグ、FAカップの3冠を達成したイングランド初のチームとなった。
グレイザー家の参入とクラブ経営
2005年、アメリカのグレイザー一族が13億3千万ドルでクラブを買収し、マルコム・アーヴィング・グレイザー(1928 – 2014)が社長に就任。また、不動産投資、エネルギー・食品企業、天然ガス・石油などの各種金融分野、健康・メディアなどを統括する持株会社、ファースト・アライド・コーポレーションの会長も務めた。
その後、すぐさまグレイザー会長が、息子たちをマンチェスター・ユナイテッドのビジネスユニットの上級役員に任命。
そのため、グレーザー会長は、ファンから嫌われる存在となった。オールド・トラフォード・スタジアムだけでなくマンチェスターの町でも歓迎されなくなった。
2005年半ばにグレイザー家がクラブに就いて以来、クリスティアーノ・ロナウドを9600万ユーロでレアル・マドリードに売却するなどしても、クラブは利益を上げていない。
アメリカ人の億万長者で、フロリダに本拠地を置くアメリカンフットボールチーム「タンパベイ・バッカニアーズ」のオーナーである男が、ユナイテッドの歴史を持つクラブを所有し、チームを自分のビジネスポートフォリオに含めることが可能なのか、イギリスのファンは不思議に思っていたようだ。
グレイザー氏は生涯、オールド・トラッフォードのスタジアムに足を踏み入れることはなかった。インタビューにも応じず、声明も発表していない。そんな秘密主義である新オーナーのスポーツポリシーがマンチェスター・ユナイテッドのDNAを変えてしまうのではないかというファンの心配を煽った。
しかし、グレイザー氏とその息子たちは、地元や世界のタイトルにこれまで干されてきたにもかかわらず、マンチェスター・ユナイテッドのDNAには手をつけなかった。彼らは、本業であるエンターテインメント市場においては、アメリカのスポーツ産業モデルを持ち込むよりも、適応し進化することが重要であることを理解していた。
今日、マンチェスター・ユナイテッドはそのDNAを守り、サッカークラブというに分類では、世界で最も経済力のある企業にまで成長した。